私の幸せ≠SMAPの幸せ


SMAPが解散する。

それが発表されてから今日に至るまで、このことに関する私の思いは一貫してて。


それは、「分からない」

は?って感じかもしれないですけど。
悲しい!!イヤだ!!いなくならないでーーー!!!って感情的になって、涙が出るとかでもないし
そっか。まあ25年も頑張ってきたしね。お疲れ様!って潔く事実を受け入れられるわけでもない。

これは、私が今まで生きてきた境遇が原因なんだと思う。


私は今、今年の夏で19歳になったばかりのピッチピチの大学1年生。ピッチピチのね。ピッチピチ。

だから、私が生きてきた人生よりも、SMAPが活動してきた年月の方が長い。

そして、私の母はSMAPがデビューしたときからの大ファンである。
はじめは森くんが好きだったみたいだけど、脱退してからは慎吾ちゃんが好き。スマスマは当たり前にずっと観てるし、私は放送していたことさえ知らなかった昔の番組だってずっと観てる。

その母の影響はかなり大きくて、
家のおっきなCDプレイヤーからは、毎日のようにSMAPの曲が流れていたし、車の中でもSMAPの曲が流れていた。今でも、こんな曲知らないだろうな〜っていうアルバムの曲を聴いても、どこか聴いたことあって気づいたら口ずさんでることもある。潜在意識の中にSMAPの曲があるんだなって思って、ちょっぴり嬉しくなったりした。SMAPの曲は私の生活の一部として19年間という歳月の中に存在してたのだ。

SMAPのコンサートも、ファミリー席で5歳のときと9歳のとき(って母に聞いた)に足を運んでる。5歳のときなんて寝たからな、私。今考えればクソ失礼。失礼極まりない。ほんとごめんなさい。5歳だったの許して。ていうか逆にあんな爆音の心躍るステージを観ながらよく寝れたよ。今からタイムスリップして会いに行くから席変わってくれ。お願い。

ちなみに5歳のときは木村くんが好きで、9歳のときは吾郎ちゃんが好きで、どっちもうちわを買ってもらって一生懸命降ってた。今は中居くんが好きだけど。5人中3人を1番好き!になってた。ふふふ。


そういう生活をしてきたわけで。

毎週月曜の夜10時からはスマスマを観る。月9からのスマスマ。この時間が大好きで、何度テスト勉強だの受験勉強だのをせずこの番組を観るのに時間を費やしていたか。(頭を抱える)


SMAPのいない世界を、私はまだ知らないんです。
生きたことがないから。SMAPのいない世界を。

だから分かんないの。SMAPがいなくなるって、「どういうこと??」
SMAPがいない世界を知らないから、想像すらできなくて、ちょっとよく分からないの。

そんなこと起こるの??(笑)って笑っちゃいそうになるくらいには分からない。

現実逃避とか、するのも出来ない。
だって分からないんだから。

悲しい。寂しい。そうも思うけど、やっぱり分からないから、「怖い」になっちゃう。

大切なものがいなくなる怖さ。それを感じてしまうから、だから、イヤだいなくならないでって悲しくもなるし寂しくもなるんだと思う。

今の気持ちを一言で表すなら?なんて芸能人のインタビューとかでよく聞かれるような質問を今投げかけられても、何も答えられないんだよ。それくらい、私にとって、SMAPという存在がこの世界に存在することが当たり前なんだって強く感じた。いなくなるかもっていう想像すらもしないくらい、そこにいることが当たり前だった。


何度も、SMAPの解散についてブログを書こうと思ったけど、書いては消して書いては消してを繰り返したし、結局自分の気持ちがまとまらないから書けなかった。

でも今回、こうやってブログを書くことに迎えたのは、あるツイートを偶然目にして、それがなんだか自分の言いたいことをそのまま表してくれているような気がしたから。


私は嵐・SMAPが好きで、ジャニーズが好きであると同時に、女性アイドルグループも大がつくほど好き。

それはHello!Projectと言って、
モーニング娘。を筆頭に、今では様々なグループが作られ、活動している。

その中で、℃-ute(キュート)という、このHello!Projectの中で最も実力のあるグループがある。そのグループが解散を発表した。
℃-ute「Danceでバコーン!・超WONDERFUL! 」(2016春) - YouTube
℃-uteは、実力が確かで、Hello!Projectという大きな組織を引っ張ってくれる、頼もしいお姉さんたちの集まりで。

最近は岡井千聖(おかいちさと)のバラエティ進出もウナギのぼりで、実力と人気が比例する、まさに絶頂という感じだった。
DVD「℃-ute 岡井千聖バースデーイベント2016」 - YouTube

このグループが解散することになったあとに見かけたのが、序盤で述べた「あるツイート」だった。

それは
「自分は℃-uteの幸せを願ってるけど、℃-uteにとっての幸せが℃-uteを続けることではなかったことが悲しい」
という内容だった。と思う。

ふと目に止まって見ただけだから、ちゃんとは覚えてない。だからちょっとニュアンス違ったりしてるかもしれないけど。多分こんな感じだったと思う。


このツイートを見てね、あ〜〜コレだって思ったの。

私は基本的に「推しの幸せが私の幸せ」(女性アイドル好きなので好きなアイドルを推しと表現することも多い)スタンスなんです。

女性アイドルって、男性アイドルより期限が限られてると思ってて。
ジャニーズを好きでいると、老いていきながらもずっといてくれるけど、女性アイドルは「卒業」っていうシステムとかもあるし、いつかはいなくなってしまうものとして応援してるから、推しが卒業を決めても「推しが決めたことなら」って割り切れるようにって思ってる。

だから、
好きな人が決めたことは応援したいし、それが幸せなら私も幸せだから、私は応援するよ
っていうスタンスでいたいって決めてる。
だって大きな決断をした大好きな子に、応援してる人がここにいるよって少しでも背中を押してあげたいから。


でも今回の場合は違ってて

やっぱり「いなくなること」を想定して応援したり、ある程度覚悟を持ってヲタクやってた相手じゃないから

私の幸せはSMAPの幸せだから、彼らの決断を後押しできるような人でいたいと思う。でも、その彼らが選んだ幸せは、私の持ってる幸せとは遥かに違っていた。

ここで頭に入れておいていただきたいのは、今回の解散という決断がSMAPにとって「幸せ」であると仮定していること。
SMAPがした選択=幸せ というように受け取って欲しい。幸せという言葉よりも、選択・決断という言葉の方が正しいかもしれないが、自分の気持ちと比べるために「幸せ」という言葉の定義を勝手に変えてしまっていることを許して欲しい。


これが私にとって1番辛いことだったんだと思う。

思えば、今年の頭にその報道が出たときも、いろんな憶測で記事が書かれていたときも、今まで私が見てきたSMAPはそんな人たちじゃないし、そんなこと起こってないから大丈夫って思ってた。

どんな残酷な記事が出ても本人たちの口から、直接話を聞くまでは何も信じないし、裏がえすとSMAP本人たちの言葉しか信じない、SMAPを信じてる。という気持ちで一貫していた。大好きな人たちを信じて、彼らがまたいつも通り笑顔でずっと道を進んでいくことを望んでいた。


でももしかしたら、今まで私が書いた「SMAPに抱いていたもの」や「SMAPに対する要望」というのは、全てエゴだったんじゃないかと思う。

もしかしたら、私たちが「SMAPを信じてる」と言い続けていたあの期間が、彼らにとっては苦しいものだったんじゃないだろうか。
期待されること、信頼されること。それが重荷になっていたんじゃないか。
そう考え出してしまうと止まらなくて止まらなくて。
 
自分が見てきたSMAP

今きっと、誰かに「今まで見てきたものだって造られたものかもしれないじゃないか」「あなたが見てきたものはアイドルという偶像だよ」なんて言われたら、そんなことない!って机を思い切り叩くことなんて絶対できない。

私が信じてきたSMAPは、解散という道を選ばない、そんな姿だった。
ファンを大切にし、一致団結し、またあの大好きなパフォーマンスを見せてくれると信じてた。


でもその信じてた人たちが選んだ道は、それと違った。

だったら、私が今まで見てきたSMAPって何だったんだろう。やっぱり偶像だったのか。あの息のあったパフォーマンス。仲の良さが際立ってるバラエティ。これ全部造られたものだったの?私が好きで応援していたグループの真実は、私の持っているイメージのかけ離れたところにあるんだろうか?


これが全部ひっくるまって、自分の中で駆け巡って、たまらなくなってしまった。あー情けないよね!分かる!だってファンなんだから、ちゃんと彼らを見て、信じて、これからも応援していくしかないって分かってる。
 
実際そうしたいとも思うし、そう決めたら一直線だけど、たまに立ち止まって、苦しくなってしまう。

言ってることが支離滅裂で、コイツ何言ってんの?感に溢れてることはすごく分かる。私が1番分かってる。

でも、こんな支離滅裂で混乱した思いでしか気持ちを表すことができないんだ!だって、やっぱり大好きなんだもん。SMAPが大好きなの。あの超国民的アイドルグループが大好きなの。解散してほしくない。いなくなってほしくない。今まで通り、月曜夜10時のあの時間に毎週会いたい。音楽番組で輝く彼らを見たい。コンサートにもう一度行きたい。4つ下の、今年中3の弟もSMAPが好きなの。親子で好きなの。また3人でドームに行きたい。連れてって欲しい。どこまでもついてくから。私たちにいろんなものを見せて欲しい。ずっと、一緒に歩んでいきたい。無理は言わないから、グループ名だけでも残して、少しでも、少しでも、希望が欲しい。やっぱり、だって、どうしても、どうやっても、大好きなんだ。


報道があったとき、いろんな芸能人やら評論家やらが、「彼らが決めたことだし、これからそれぞれの活動を応援していくしかない。解散してほしくないとか言わないで、25年も頑張ってくれたことを讃えるべき」なんて綺麗事を並べてコメントしてるのを何回も聞いた。そんなの聞きたくない。反吐が出そう。

だってそんなの十分に分かってる。そうやってすぐ切り替えて思たら楽だよ。

でもそう思えないんだよ。分かる?好きで好きで、大好きで、すごく大切に胸の中においてあった物が、今年でなくなりまーす。って言われて、そっか、今までありがとう!って笑顔で言えるんですか??親が死ぬってなったときに、笑顔で、今までありがと!って笑顔で送り出せるんですか??無理だよ、無理に決まってんだろ!

そりゃ、応援したいよ。大好きだからこそ、苦しいけど、それぞれの道を応援したいよ。

だから、綺麗事を言わないで欲しい。そうなった方がいいことなんて、何よりファンが1番分かってる。大好きな彼らを少しでも困らせなくないし、ちゃんと応援していたい。だって何より今まで応援してきたファンだから。私なんかが言うのもおこがましい。何十年ってずっと支えてるファンの方が1番絶対分かってる。

それでも、簡単に割り切れないよ。みんなそんなに強くない。
 

あなたたちの幸せを、「SMAPの幸せは私の幸せだから」って、心から応援できなくてごめんなさい。


でも、来年までは、本当に解散しちゃうまでは、SMAPがいなくなった世界を体感してしまうまでは、

そう思えないことを、許して欲しい。